平成14年から整備業界に入り25年間勤めさせていただきましたが、会社を退職しました

日記・戯言

ご報告 〜退職と新たな挑戦について〜

こんな記事を書く日が来るだろうな、と実はずっと思っていました。

私事ではありますが、令和8年10月30日をもちまして、現在勤務している整備工場を退職いたしました。

これまで公私にわたり気にかけてくださった先輩方、いつも支えてくれた後輩の皆さん、そしてお客様や関係者の皆様には、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

整備士としてのスタート

僕は平成14年4月1日、当時の整備工場へ入社しました。当時8万円で買ったFC3Sをユーザー車検で車検を通し、整備業界へ合流したんです。

それ以前はガソリンスタンドでアルバイトをしていました。

当時、同じ会社が経営する整備工場への就職を勧められましたが、自分には他にやりたいこともあり、最初は二度お断りしました。

しかし三度目の誘いを受けた頃、当時付き合っていた今の妻との結婚も視野に入っていました。

「家庭を持つなら、まずは安定した仕事に就かなければならない」

そう考え、整備士の道へ進むことを決意しました。

今振り返ると、僕はいわゆる就職氷河期世代です。あの時の選択がなければ、正社員として働く機会を得られなかったかもしれません。

入社当時に持っていた資格は、乙種第四類危険物取扱者と普通自動車免許、大型自動車免許のみでした。

そこから実務経験を積みながら、自動車整備振興会で学び、資格を取得していきました。僕を整備士にしてくれたのは整備振興会の鴨先生です。

  • 三級ガソリン自動車整備士
  • 二級ガソリン自動車整備士
  • 自動車検査員

自動車検査員の資格取得は決して順調ではありませんでした。

長野県には選考試験があり、僕は三度不合格となりました。

それでも諦めず挑戦を続け、四度目の受験でようやく合格することができました。

その後、勤務していた会社は現在の会社に吸収合併される形で統合され、現在に至ります。

整備士からサービスフロントへ

現場で整備士として働いていた期間は、およそ12〜13年です。ピークは20代後半でしたね。

その後はサービスフロント業務を中心としながら、必要に応じて現場の整備作業も担当してきました。

2015年頃を境にブログやSNSで整備作業の写真が減ったことに気づいていた方もいるかもしれません。

それは僕自身の仕事の中心が、整備作業からお客様対応や店舗運営へと移っていったためです。

退職を決意した理由

退職を決意した理由は一つではありません。

以前からずっと、

「自分の人生はこのままでいいのだろうか」

という思いを抱えていました。

もし明日、自分の人生が終わるとしたら、

「後悔はなかった」

と言い切れるだろうか。

そう考えた時、正直なところ胸を張ってそう言うことはできませんでした。

数年前に管理職となり、残業代の対象外となりました。

責任は増えましたが、結果として労働組合員だった頃よりも年収は100万円以上下がりました。

管理職なのだから当たり前だと思い、自分なりに必死に走り続けてきました。

その間に子どもたちは成長し、それぞれ社会へと巣立っていきました。

管理職としての責任。

下がっていく年収。

独立していく子どもたち。

そして、自分自身の人生でまだやり残していること。

それらを総合的に考えた時、

「挑戦するなら今しかない」

という結論に至りました。

背中を押してくれた家族と仲間たち

ここ数年、職場では人員不足や退職者の増加などもあり、現場は非常に厳しい状況が続いていました。

そんな中でも、僕が担当する部署は昨年から安定した数字を残せるようになり、ようやく軌道に乗り始めていました。

だからこそ、自分が抜けるタイミングは今しかないと感じていました。特に僕は管理職なのに会社では、ほぼ禁止されているSNS活動をずっと続けてきましたので。

規模がこれ以上大きくなると、いずれにしろ退職せざるを得ない状況になるだろうというのは理解していました。

家族にも相談しました。

すると家族は、

「自分のやりたいことを最優先してほしい」

と言って背中を押してくれました。

退職届を提出した際、上司は大変驚いていました。

しかし最後まで僕の意思を尊重し、サポートしてくださいました。

その上司は大手ディーラーでマネージャー経験もある方で、経営手腕にも優れていました。

僕が退職した後も、この難しい状況をきっと乗り越えてくれるだろうという信頼がありました。

会社には感謝しかありません。

そして何より、一緒に働いてきた先輩や後輩に恵まれました。

人との出会いに本当に恵まれた整備士人生だったと思っています。

これからについて

今後は指定工場の自動車整備士・自動車検査員という立場からは離れます。

しかし、仕事そのものを辞めるわけではありません。

これからは個人事業主として新たな挑戦を始めます。

自動車業界に関わる仕事はもちろん続けていきますが、それだけにとどまらず、人の役に立てる資格の取得にも挑戦したいと考えています。

介護分野の資格取得もその一つです。

様々な分野を学びながら、自分なりの形で事業を広げていければと思っています。

第二部完、そして第三部へ

このブログ「MHO ENGINEERING」も、一つの区切りを迎えます。

最初の会社時代を第一部とするならば、今回退職した会社で過ごした期間が第二部でした。

そして令和8年10月31日からは、第三部のスタートです。

僕は2000年頃からインターネット上で情報発信を続けてきました。

車業界のネットユーザーとしては、かなり古株の部類に入ると思います。

技術や知識の面では、今の若い整備士の皆さんには到底及ばない部分もあります。

だからこそ今後は、長年サービスフロントとして培ってきた経験や、人との関わり方、お客様とのやり取りなどを中心に発信していきたいと考えています。

YouTubeやブログなどを通じて、これまでとは違った形で皆さんのお役に立てれば幸いです。

これまで本当にありがとうございました。

父親が交通事故で他界したのが63歳。僕は今年で48歳になります。もし、父と同じ寿命だとすれば残された時間は15年。

この15年は今まで以上に全力で走り抜きたいと思います。

そしてこれからも、どうぞよろしくお願いいたします。関係企業の皆さんにも心配、労いのお言葉をたくさんいただきました。特にブリヂストンの3人には、わざわざ今までの担当者様から、昔からの友人でもある所長様も挨拶にきてくださいました。感動しました。ありがとうございました。

そして何より会社の仲間の皆さんありがとうございました!皆さんの人生にも幸福が待っていますように!

それに伴い、こっそりnoteを始めています。こちらのMHO ENGINEERINGではこれからも通常どおり、クルマにまつわる情報を発信していきます。

noteは僕がチームMHOとしてどのような道を歩んできたかを記事にしています。そして明日から始まる会社員を退職した人生もこちらで綴っていきますのでチェックしてください。

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