車が家だった親父の単身赴任生活!月まで走ったバネットラルゴ!家賃のない元祖車中泊ポイント

今現役整備士・検査員として自動車整備の件場で働く僕にとって、どうしても超えることのできないであろう人間がいます。それはうちの親父。彼の生きざまは整備士の僕から見てもリスペクトすべきだし、子を持つ親としても尊敬の念を抱き続けさせています。

そんな親父と月まで走ったバネットラルゴの話です。

関東から長野へ引っ越してきて、単身赴任の手段は車中泊!

僕らは生まれは関東地方。途中から現在の長野県へ引っ越してきました。長野は親父の実家です。親父は長男だったので、おばあちゃんの容体がよくないという理由から帰郷しないといけなくなりました。

当時東京で仕事をしていた親父は、長野へ引っ越してからも同じ仕事を続けることを選びました。単身赴任をするのか?というと半分正解。

親父が選んだ道というのは、平日は長野から東京へ単身赴任する。週末には戻ってきて家族の時間を作るということ。

この時問題になったのが東京にアパートなどを借りるのか?

親父が取った選択肢はびっくりするものでした。当時サニーに乗っていた親父は車を買い替えました。4ナンバーのバネットラルゴです。

家にサニーとは全く打って変わったけど新車が来た!ということで、ワクワクしていたんですが、なんとこの車を家にするという。

そう。親父の単身赴任生活は日曜日の夕方から下路で東京へ行く。月曜から土曜まで車中泊をしてまた下路で家路につくというもの。

この時ってゆとりでもなかったから世間は土曜日も普通に仕事でしたよね?学校は土曜日は3時間授業の頃です。今は週休2日が当たり前になりましたけど。

ラルゴの中で寝る元祖車中泊生活!

親父の1日のタイムスケジュールはこんな感じです。朝起きて朝食など身支度をして出勤。勤務が終わると近くの銭湯などで疲れをいやす。そして夕飯を取る。夕飯はもっぱらスーパーのお弁当など。

ラルゴの中にはカセットコンロも積んであり、お湯を沸かしたりカップラーメンを食べたりすることはできました。もちろん布団一式から着替え一式など全て載せておくわけです。

この生活が成り立っていたのは、親父の会社が一定の理解を示してくれていたということ。あと会社の駐車場を自由に使わせてくれていた。これがなければ駐車スペースだって有料ですから。

今ブームの車中泊とは違うガチの車中泊です。なんせラルゴにはトイレも水道も何もありません。キャンピングカーとしての機能はゼロで、ただの貨物バンに布団などを入れてあっただけのものでした。

年間走行距離が4万キロを超えていた

あとで計算してみてわかりました。ラルゴは僕が10歳の頃に買った。20歳になるくらいまでに38万キロ弱。年間でいうと4万キロ程度のペースで走っていた。

当時日産がキャンペーンをしていたんです。走った走行距離だけ割引をしますって。走行距離1万キロにつき1万円割り引きますよーって。

おお!ではラルゴを下取りに出せば40万近く割り引いてもらえるじゃん!違う車をそろそろ買えばって?親父に進言したこともあります。しかし彼は愛着の沸いたラルゴだっただけに首を縦にはふりませんでしたね。

もはや生活の一部としてラルゴは組み込まれていたわけです。60歳を過ぎても東京へ同じスタイルで出稼ぎに出かけていましたから。20代の僕から見ても絶対にまねできないな・・・。と思っていました。

今子を持つ親となって、そのスタイルをまねできるかというと100%無理と答えます。しんどすぎますね。それは。

ラルゴは小型貨物なので毎年車検だったはず

売る覚えですが、ラルゴは4ナンバーの貨物車だったと思います。小型貨物に該当するので車検整備は1年ごとになります。年間走行距離4万キロオーバーの車検って、結構大変です。

ただラルゴにはパワステもエアコンもついてませんでした。補機ベルトはたぶんオルタネーター(ファンベルト)だけ。

ベルトなんか車検ごとに交換していたんだろうなと。

親父はある程度自分で車がいじれる人間で、タイヤ交換からオイル交換、サーモスタットも自分で交換していたし、最終的にはタイミングベルトも自分で交換していましたね。

補機類が少ないとはいえ、自宅でキャブオーバーのタイミングベルト交換を当時やるっていうのはなかなかクレイジーなオッサンです。

親戚に日産の工場長がいたのでいろいろ助言してもらっていたんだと思います。

燃料コストや整備コストを考えれば家賃より安い?

肝心なのは家賃や光熱費を節約したいというところなわけ。実際にラルゴで単身赴任をしていたのでメンテナンスや燃料代などと差し引くとどうなのか

このラルゴ、燃料が軽油でした。当時の軽油って相当安かったです。僕が高校生くらいの頃って関東地方でレギュラーが70円台で売られていた。本当です。

僕は高校卒業して東京へ行きましたが、当時千葉県のガソリンスタンドでレギュラー78円とかあった。ここから軽油って10円ほど安いからリッターあたり60円台だったのではないかなと。

気になるラルゴの燃費ですが、どの程度走ったかは定かではないんですけどおそらくリッター10は走っていたと思います。余計なものもついてない車でしたから。

長野から東京まで片道250km程度かかるとして、燃料代が1リッター税込みで70円とする。そして燃費がリッター10km走る。これで計算すると、250km走るための燃料は25リットル使います。これに70円をかけると1750円。

抜群に安い交通費ですね。往復で3500円。

月に多くて5往復すると17500円です。家賃と考えれば安い。しかも移動ができる便利な家ですから。

単純なメンテナンスは自分でやっていたので、かかっていたのは車検代とタイヤ代が主なところですね。こんな生活もたまにやれば楽しいかもしれないね。

今になればラルゴの分解整備記録簿を見てみたかった

自分が整備士になったからこそ言えるのですが、分解整備記録簿って整備士的にいうと勲章みたいなところもあります。

自分が交換した部品を記入するわけです。それを2年間保管する義務がある。記録簿を見ればその車がどのような整備を受けてきたかが読み取れます。

ラルゴの場合毎年車検だったので、相当な分解整備記録簿が車検ホルダーに入っていたはずなんですよね。今整備士になった立場から見てみたかったな。

構造がシンプルだし、エンジンが縦置き。しかもFRでした。4WDじゃないんです。車にはチェーンを積んでいて、雪が降ったらチェーンを巻いて走ってました。

親父にとってはFRで雪の峠道なんかお手の物でした。職業がドライバーでしたからね。

僕も小学校の春休みに親父の仕事を手伝いに行ったことがあるんです。3日間だけだったけど、親父とラルゴに泊まって。

朝一緒に起きて親父の勤務する会社のトラックに乗せてもらう。荷物の出し入れを一緒に手伝ったりして、仕事が終わったら定食屋でかつ丼を食べさせてくれたのがいい思い出です。小学校5年生の僕にとっては、こんなに働くことって大変なんだなっていい勉強になりました。

今では適当な性格だった親父ですけど、自分が親になってからというと彼に会いたくて話をしたくてしょうがありません。残念なことに親父は僕の長男が生まれる前の年に事故で他界してしまいました。

自分にとってはレジェンドみたいなオッサンだったなって。あったこともないけど自分の子供たちにオッサンのすごさを語り継いでいます。あ、今月命日だった。

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